2020年11月、アメリカ大統領選挙で注目されたジョー・バイデン氏。
バイデン氏には、家族を3人も亡くすという壮絶な過去がありました。
今回はバイデンの家族構成|妻・子供は交通事故、息子は脳腫瘍で死別の壮絶な過去のテーマでお届けしたいと思います。
早速本題に入ってまいりましょう。
目次
ジョー・バイデン氏の家族構成

オバマ政権時代には副大統領として活躍していたジョー・バイデン氏。
2020年11月にはトランプ氏との大統領選で注目を集めました。
そんなジョー・バイデン氏ですが、初婚の前妻と長女を交通事故で亡くしており、また2015年には長男も脳腫瘍で亡くすという壮絶な経験しています。
少し複雑ですが、ジョー・バイデン氏の家族構成はこのようになります。

1人ずつ見て行きましょう。
前妻:ネイリア(交通事故で他界:30歳)

バイデン氏の初めてとなる奥さんはネイリアという女性でした。
とても美人な奥さんですよね。
2人が結婚したのは1966年、バイデン氏が24歳の時でした。
その後
が産まれています。
バイデン氏は28歳の時に弁護士から転身し、政治の世界に足を踏み入れました。
2年ほどニューキャッスル群議会議員を務めた後、29歳で上院議員に初当選。
しかしその翌年、バイデン氏が30歳の時に、奥さんと子供たちが交通事故にあってしまいます。
1972年11月、米議会上院に初当選した直後の30歳になる誕生日にケーキを切り分けるバイデンと妻ネイリア、息子たち。この約一月後に事故が起きる pic.twitter.com/pfLSpCznBl
— クジラ君 (@kujira__kun) November 4, 2020
1972年12月18日、クリスマスの準備の為にネイリアさんと子供3人が車で買い物に出かけていたところ、トレーラーに追突されてしまったのです。
この事故で、妻・ネイリアさん(当時30歳)と長女のナオミちゃん(当時1歳)は死亡。
車に乗っていた長男(当時3歳)と次男(当時2歳)は奇跡的に助かりましたが、二人も大怪我を負いました。
バイデン氏はかなりのショックを受け、一時は自殺を考えたこともあったそうです。
残された2人の息子のことを考えて議員辞職も考えたそうですが、同僚から続けるよう説得されて継続を決意。
当時は自宅のウィルミントンからワシントンD.C.まで片道190キロの距離を、車や電車で毎日往復3時間かけて通勤していたそうです。
【第一子】長男:ボー(脳腫瘍で他界:46歳)

バイデン氏の第一子となる長男ボー氏は1969年、バイデン氏が27歳の時に産まれました。
ボー氏はアメリカの政治家、弁護士、軍人で、2006年から8年もの間デラウェア州の司法長官を務めていました。

しかし2010年に軽い脳卒中を起こします。
その際は後遺症は残りませんでしたが、2013年に脳腫瘍が見つかります。
摘出手術を受けたものの、2015年に再発。
その後、46歳という若さで帰らぬ人となってしまいました。
ボー氏には奥さんと2人の子供がいたそうです。

【第二子】次男:ロバート・ハンター(様々な不祥事?)
次男のロバート・ハンターは1970年、バイデン氏が28歳の時に産まれました。
ロバート氏は弁護士&実業家で、ベンチャーキャピタルのEudra Globalの共同創業者でもあります。
2020年で50歳となるロバート氏ですが、過去には様々な不祥事があったとも言われています。
薬物検査で陽性
2013年に行われた薬物検査でコカインの陽性反応が出たため米海軍予備役を除隊処分を受けていたことが2014年10月に明らかになった
引用:Wikipedia
ウクライナ疑惑
バイデン氏がオバマ政権で副大統領を務めていた頃、ハンター氏がウクライナのエネルギー会社ブリスマの取締役に就任して高額の報酬を受け取り、その見返りに父親(アメリカ副大統領)の政治力を使ってブリスマの捜査を担当していたウクライナの検事を解任させるなど、同社に様々な便宜を図ったという疑惑だ。
これについてバイデン氏の関与を裏付ける決定的証拠は見つからなかったものの、その後も疑惑はくすぶり続けていた(皮肉にも元々は、トランプ大統領がウクライナのゼレンスキー大統領に圧力をかけてバイデン疑惑の再捜査をもちかけ、それによって自身が米議会の弾劾調査を受けたことに端を発している)。
引用:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/76808
【第三子】長女:ナオミ(交通事故で他界:1歳)
バイデン氏の第三子ナオミちゃんは、1971年バイデン氏が29歳の時に誕生しています。
しかしご紹介した通り、1歳の時に交通事故で母・ネイリアさんと共に他界しています。
バイデン氏のショックは測りきれなかったことでしょう・・・。
現妻:ジル

バイデン氏は1972年の事故後、家族の協力を得ながらシングルファザーとして2人の息子を育ててきました。
そして事故から5年後の1977年に再婚。
バイデン氏が35歳の時でした。
お相手はバイデン氏より9歳年下のジル・トレイシー・ジェイコブスさん。

当時大学生だったジルさんは地元の広告代理店のモデルをしており、バイデン氏が一目惚れしたそうです。
バイデン氏の弟が、お兄さんのためにブラインドデート(初対面相手とのデート)を設定してくれたのだとか。
ジルさんの方も学生時代に一度結婚していたものの、当時のご主人のバー「ストーン・バルーン」の経営が上手く浮かず、別れていたそうです。
ジルさんは当初、バイデン氏の2人の子供の継母になることを躊躇していましたが、バイデン氏から5回結婚を申し込まれた末に受け入れたと言われています。
【第四子】次女:アシュリー
1981年、現妻ジルさんとの間に次女であるアシュリーさんが産まれました。
バイデン氏が39歳の頃です。
2020年時点で39歳となるアシュリーさんは、テュレーン大学を卒業後、ペンシルベニア大学で修士号のソーシャルワークを取得。
さらに刑事司法改革志向のNPOデラウェア・センターフォー・ジャスティスのエグゼクティブディレクターに就任し、デラウェアで15年ソーシャルワーカーとして働いていました。
その後はファッション業界に転身し、2017年にはアメリカ製の衣料会社「Livelihood」を創業。
すでに形成外科医のご主人ご結婚されていますが、調べる限りでは2020年時点でお子さんはいないようです。
ジョー・バイデン氏の家族構成まとめ
今回はバイデンの家族構成|妻・子供は交通事故、息子は脳腫瘍で死別の壮絶な過去のテーマでお届けしました。
過去に3人もの家族を失っていたバイデン氏。
「悲しみをしる政治家」と言われる所以がわかるような気がしますね。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。