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堀江貴文の壮絶な生い立ち!強烈な両親のもとで突き抜けた子供時代とは?

ホリエモン2

常に時代の最先端を行くホリエモンこと堀江貴文さん。

逆境を乗り越えながら様々な成功をおさめている堀江さんですが、調べてみると壮絶な家庭環境で子供時代を過ごしていました。

また、幼少期から百科事典を読み漁り、中学時代にはプログラミングで100万相当の仕事を受注するなど、子供時代からかなり突き抜けていた堀江貴文さん。

この記事では、堀江さんの強烈な両親(家庭環境)や生い立ち(幼少期〜大学時代)についてまとめています。

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堀江貴文(ホリエモン)の壮絶な生い立ち!両親が強烈だった?

ホリエモン時代の先端を駆け抜ける、実業家の堀江貴文さん。

大学時代から当時珍しかったホームページ制作の会社を立ち上げ、起業で成功した後はライブドアの社長に就任。

証券取締法で逮捕されると、今度は刑務所で本を執筆するなど、普通の人はなかなか真似出来ないできないことをサラリと(?)こなしています。

本出所後はロケット開発に携わりながら、現在は様々なビジネスを並行して行なっている堀江貴文さん。

とてもやり手な堀江さんですから、ご両親も実業家なのか?と思いきや、堀江貴文さんはごくごく一般の家庭に生まれ育っています。

反論すると平手打ち&木に縛りつける父親

ホリエモン父ごく一般の家庭に生まれつつも、堀江さんのご両親は超がつくほど厳しい方でした。

堀江貴文さんは、1972年に福岡県八女市に長男として生まれています。

兄弟はおらず、一人っ子なんですね。

堀江貴文さんのお父さんはごく一般のサラリーマンで、日産ディーゼル福岡販売というトラック販売会社の佐賀支店に務めていました。

お酒と野球観戦が大好きで、巨人が負けると途端に機嫌が悪くなるところがあり、堀江さんがどんなに疲れていても「肩を揉め」、「背中を踏め」など、よく命令してきたそうです。

堀江さんが言い返すと平手打ちが飛んできたり、ひどい時には庭の木に縛られたこともあっのだとか。

昭和の親父って感じですね。

それでもお酒が入っていないときは、物静かで穏やかなお父さんだったそうです。

海水浴や遊園地、神社に連れて行ってくれるなど、優しい一面もあったお父さん。

ただ、堀江さんが他の家庭と違うと感じていたのは、外出時にお母さんが一緒ではなかったということ。

出かけるときはいつも父親と2人でした。

両親の仲はあまり良くはなかったんですね。



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反論すると家から閉め出し、包丁を持ち出す母親

ホリエモン2一方で、堀江さんのお母さんは更に厳しい方でした。

堀江貴文さん曰く、お母さんが堀江家の中で一番気性が激しい人だったそうです・・・!

堀江さんの意見は全く聞かれず、何事もお母さんが独断で物事を決めてしまい、また母親の言うことは絶対だったのだとか。

ホリエモン
ホリエモン

何の前触れもなしに、急に警察道場に連れて行かれて、その日から無理やり柔道を習わされた。

ホリエモン
ホリエモン

柔道をサボった日は家を閉め出されて、どんなに泣いても入れてもらえなかった。

また、母親の口から出てくるのはいつも命令形で、母親の命令に論理的に反論した日には、「お前も殺して私も死ぬ」と包丁を持ち出してきたこともあったそうです。

母親の前では完全に無力で、自分の願いを聞き入れてもらえることはほぼなく、理不尽に否定されてしまうことがほとんどでした。

堀江さんは結局、興味のない柔道を6年続けたそうです。

 

壮絶な家庭環境がホリエモンに与えた影響

ホリエモン父親が厳しければ母親が優しく、母親が厳しければ父親が優しいなど、なんとなくバランスを取っている家庭も多いと思いますが、堀江家の場合は両親とも厳しい家庭だったようです。

その為、ごくごく一般の家庭に育ちながらも、堀江さんの「自由」に対する思いは一段と強くなり、強固なものとなっていきます。

自由の効かない現実やそれに対する不満が次第に募ったことで、堀江さんの自由に対する反動は大きく突き抜けていったという背景が、生まれ育った環境にありました。



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堀江貴文(ホリエモン)の子供時代は突き抜けていた!

【幼少期】百科事典を読み漁る幼稚園児

幼少期福岡県八女市で育った堀江貴文さん。

辺りには畑が一面に広がり、友人の家に行くにも歩いて30分ほどかかるなど、とてものんびりとした田舎で育ちました。

そんな堀江家は、当時は珍しい共働き。

ホリエモン
ホリエモン

夏休みや冬休みはいつも母方のおじいちゃんの家に預けられていました。

2歳の頃、おじいちゃんにおんぶされていたその背中の暖かい温もりが、堀江さんの記憶にずっと残っているそうです。

そんな堀江さんの幼少期の突き抜けエピソードは、5歳の頃。

怪我をして幼稚園を1ヶ月休んだ時に、堀江さんは家にあった百科事典を読みまくっていたそうです。

読んでいたのは、自身が興味のある天文宇宙や技術系、工学系、歴史などのページ。

漢字も習っていた訳ではないのに、何となく理解できて百科事典の知識を吸収していたそうです。

 

幼少期の突き抜けポイント

5歳の頃から百科事典を好んで読み漁り、天文宇宙や技術系、工学系、歴史などの知識を自発的に吸収していた。

 

ちなみに、堀江さんがなぜ百科事典を読み漁っていたかというと、

ホリエモン
ホリエモン

家に百科事典しかなかったから。

両親ともに本を読む家庭ではなかった為本は置いていなかったそうですが、当時は百科事典が流行っていた時代。

家に百科事典があるのが一つのステータスにもなっており、堀江家も百科事典だけは置かれていたそうです。

また一方で友達ともよく遊ぶタイプで、特に秘密基地を作って遊ぶのが好きだったのだとか。

穴を掘ったり、川に廃材で橋をかけたりして遊んでいたそうです。



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【小学生時代】友達と遊びのレベルが合わず、テストは簡単すぎて苦痛

ホリエモン小学生小学生に入ると、段々と友達が楽しんでいる遊びを単純に楽しいと思えなくなることが増えていきます。

友達と秘密基地を作って遊んでいても、友達はただ寝っ転がったりするだけで楽しそうにしているのに、堀江さんはその秘密基地が何の秘密基地でどんな任務が与えられているのかを考えるのが好きだったり。

またドッジボールなど、自分がそこまで上手ではない遊びはしたくなかったため、自分が優位に立てるような(頭を使う)陣取りゲームやケイドロなどを上手く流行らせていたそうです。

小学生の頃から自分の土俵に持っていくように仕向けていたんですね。

そして小学校生活で苦痛だったのはテストの時間。

ものの10分で解き終わってしまう為、余った時間が苦痛だった堀江さんは、最終的にテストの採点の手伝いをしていたそうです。

小学生の頃から成績も優秀だったんですね

そんな堀江さんの才能を見抜いた担任の星野美千代先生は、堀江さんを放課後に呼んでこう言います。

あなたは八女から出ないと勿体無いよ。久留米に全教研という進学塾があるからそこに行って勉強しなさい。あなたみたいな人が何人もいるはずだから。

堀江さんが小学3年生の頃でした。

そして先生に勧められた通り、堀江さんは4年生から塾に通い始めます。

堀江さんは、そこで面白い友達に出会うことができ、自分の居場所を得るようになります。

小学生時代の突き抜けポイント

・同年代の友人と遊びのレベルが合わない

・優秀すぎてテストの余り時間が苦痛

星野先生との出会いがなければ、堀江さんの人生はもしかしたらまた違ったものになっていたかもしれませんね。

堀江さんの才能を見抜いてアドバイスしてくれたのは、後にも先にも星野先生だけだったそうです。

ちなみに堀江さんは小学生のころ、両親は共働きだった為、授業参観には一度も来てくれたことがなかったことも明かしています。

寂しいと思わないように、自分の家は共働きだからと自分に言い聞かせていたという堀江さん。

本当は寂しかったのでしょうね。



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【中学生時代】独学でプログラミングを習得し、100万円レベルの仕事を受注

ホリエモン中学生堀江さんは、中学になると進学校である久留米大学附設中学校に入学します。

自分の希望が通ることはほぼなかった堀江家ですが、堀江さんは当時どうしても欲しかったパソコンを入学祝いに買ってもらうことができました。

そのパソコンは第一希望の種類ではなかったものの、念願のパソコンを手に入れることができ、堀江さんはプログラミングにのめり込んでいきます。

中2になる頃には、当初買ってもらったパソコンのスペックを上回る技術を堀江さんが身につけてしまい、親に20万借りて新しいパソコンを買い直すまでに。

そして何と、中学生にしてプログラミングの仕事まで受注してしまったのです。

ゲームソフトが買えないから、サンプルプログラムをそのまま打ち込んで、そのまま動いてちょっとずつアレンジをしてみたらアレンジができた。

最終的にはプログラミングの雑誌に投稿して、掲載されると一万円もらえたりするので喜んでいたら、バイト先で「英語のプログラミングを移植して」と言われた。

当時何と中学2年生。

HITACHIのパソコンからPC88に移植するというという仕事が、堀江さんの最初のプログラミングの仕事だったそうです。

しかも、企業に頼んだら100万円はくだらない案件だったのだとか。

久留米では有名なプログラマーになっていった堀江さん。

その技術は、全て独学で学んだそうです。

かなり突き抜けていますね!

 

中学時代の突き抜けポイント

・中2にして100万相当に値するプログラミングの仕事を受注。

・久留米で有名なプログラマーとなった

 

ちなみに、パソコンの買い替えで親から借りた20万は、郵便局の配達のバイトをしてしっかり親に返済しています。

とても自立した中学生ですね。



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【高校時代】F判定から半年で東大に合格!

ホリエモン高校時代 堀江さんは、高校はそのまま久留米大学附属高等学校に進学しています。

中学時代はプログラミングにのめり込んでいた堀江さんですが、当時はインターネットが普及していなかったため、段々興味が薄れてしまいました。

高校生になると、深夜までゲームセンターで遊んだり麻雀に明け暮れるなど遊ぶことに夢中になっていまい、徐々に成績は下がってしまいます。

そんな堀江さんを見兼ねて、お母さんには大事なパソコンを捨てられてしまうことに。

このままではいけないと思った堀江さんは、高3の夏から大学進学に向けて受験勉強を始めます。

目指したのは東京大学。

ちなみに高3の春の段階で、東大の判定はF判定でした。

そこから猛勉強して、何と半年で東大(文学部)に合格したというので驚きです。

やはり相当な頭脳明晰なのですね。集中力もかなり高いのだと思われます。

ちなみに堀江さんは、受験勉強に対しても独自の戦略を立てていました。

過去問をなんども読み返した結果、受験英語とはとにかく英単語を極めることに尽きる。文法に惑わされてしまうのも全て単語の意味を取り違えてしまうからだ、という結論にいたり、戦略的に受験勉強に臨んだ。

 

高校時代の突き抜けポイント

・独自の戦略でF判定から半年で東大に合格

 

ちなみに、東大を目指した理由は「実家から出たかったため」だったそうです。

自由になりたかったのでしょうね。

また中高は男子校だったため、共学の大学に行きたかったということもあったようです。



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【大学時代】東大を躊躇なく中退&インターネット会社を起業

ホリエモン大学時代晴れて東大に合格した堀江さんは、実家を出て東大の構内にある駒場寮に入寮します。

しかし、堀江さんは入学して2ヶ月ほどで授業に出向かなくなります。

何でも先輩が劣悪な環境で研究しているのを見て、夢が壊れてしまったのだそう。

では大学に行かずに何をしていたかというと、寮で流行っていた麻雀や先輩に誘われて初めた競馬にのめり込み、あとは塾講師のアルバイトをしていました。

時にはヒッチハイクで日本全国を旅することも。

そんな自堕落な生活が続き、このままじゃいけないと思い新たなバイトを探したの大学4年生の時。

そこで見つけたのがプログラミングのアルバイトでした。

中学の頃にプログラミングを学んでいた堀江さんは、そのアルバイト先でインターネットと出会い、またのめり込んでいきます。

朝から晩までPCに向かい、ついにはインターネット事業の会社を立ち上げるまでに。

新しい会社の立ち上げと前後して、堀江さんは東大を中退しています。

父親には卒業するように言われたようですが、全く聞き入れず。

ホリエモン
ホリエモン

日本社会では東大を卒業したかどうかは大差なく、東大に入ったことがブランドになるため、卒業の必要はない

親から解き放たれ、自分の進むべき道を自分で切り開いた、まさに自由になった瞬間だったのかもしれません。

大学時代の突き抜けポイント

・大学在籍中に友人らと共に、大学在籍中に会社を立ち上げる

・日本最高峰の東大を迷わず中退

新しく立ち上げた会社にとてもワクワクしていたという堀江さん。

その後も順調に会社を成長させていきます。

力を抜くところは抜き、ここぞというときに集中して大きなことをやり遂げ突き抜ける堀江さんは、子供時代から変わらないようですね。



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まとめ

今回は堀江貴文さんの壮絶な家庭環境と、突き抜けていた子供時代のエピソードについてまとめました。

壮絶な家庭環境で育った堀江さんですが、だからこそ自由への思いが人一倍強く、それが現在の「やりたいことは全部やる」という堀江さんの原点に繋がっているように感じます。

また時代の最先端を行く堀江さんは、幼い頃から頭脳明晰で、やはりやることが普通の人とは違いました。

現在もすでに様々な分野で活躍している堀江さんですが、今後も突き抜けていきそうですね。

今後の堀江さんの動向に注目していきましょう。

ホリエモン
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